ToBe blog へようこそ ― 2005/05/09 20:59
既存のメディアは…
新聞 → 「お悔やみ欄」と「地域情報」
Radio → 目覚まし代わりの「朝のニュース」と「音楽」
TV → DVD-HDDレコーダー購入以降、ほとんど見ない。
そんな暮らしをしていますので、私にとってのInternetは「辞書」であり「新聞」であり「手紙」であり、鉛筆や筆のような「自己表現の一手段」でもあります。
もちろん、仕事でもInternetは大活躍。Internet上の情報は「玉石混交」とも言われていますが、そこに潜んでいる莫大な情報は「紙」の時代ではありえない量です。そして世界中どこからでも入手が容易。そして、取捨選択ができれば、内容だって「玉」ばかりを集めることが可能です。
更に、この2年ぐらいはBlogにより、Webサイトを持つことの敷居が一気に下がり、「情報はあっても管理が面倒」、「メールは打ててもWebSiteは難解で手が出ない」という理由から情報発信をしていなかった層にまで広がってきました。
そんな日本中(英語がまるっきりダメですから・・・残念)に広がるSiteから情報を集めて、私なりの解釈をして、私が住むこの街に活かすためのアイデアにしてみようというのが、このToBe blogです。
[このブログについて]にも書きましたが、『理想の実現に向けてコツコツと準備すること』の一つとして、地道に綴っていければと思います。
滑り込んだようです。 ― 2005/05/09 21:38
どうせ、そう易々と埋まることは無いでしょ?と思いつつ、申し込みボタンをポチッっ。
と押したところで食事が届き、そんな事は忘却の彼方へ・・・。
そして、先ほど帰宅。
「確認」メールが届いていたことで、申し込みしたことを思い出し、アカウントを取得してから、社長のブログを見てみたら、、、どうも私は運が良かったみたいです。
先月下旬、ネットでコンサートチケットを「狙い撃ち」したのに、結局取れなくって悔しい思いをしたばかりの人としては、、、ちょっと複雑な心境。
でも、色々なブログを渡り歩いてきた経験がβテストに役立つかもしれませんから、ぜひとも積極更新でテストに協力させていただきたいと思います。
#CSSも勉強しなくちゃだワ。
毎週火曜の朝の習慣 ― 2005/05/10 20:17
毎週火曜日に必ずチェックするのがサイトがあります。
佐賀県の古川康知事の個人のWebです。
古川さんを知ったきっかけは、彼が長野県庁在職中に「村山建大」というペンネームで執筆・指導した「現代信州の基礎知識 HAMIDAS」でした。
この本の切り口が非常に良かった。今風に一言でいえば「信州のトリビア本」ですが、当時としては非常に面白い切り口の本でした。 仕事(もしかすると休日だったかも)から帰宅し、点けたTVで偶然「HAMIDASの特番」がやっており、ビビビッと来た私は、すぐに本屋で予約をして購入。そして、その本を一冊読み終わった瞬間から、村山建大こと古川さんのファンになったのです。
何を隠そう、私が1996年にAsahi-netに加入し、WebSiteを立ち上げた理由は「私の街のOnline HAMIDAS」を作りたいと考えたから。 今となっては「お堅い?サイト」に成り下がっていますが、当時はそういう使命感に駆られており、HAMIDASショックは、その後の私に大きな影響を与えました。 その後、「信州自治」という長野県の公務員向け雑誌に「二月一巻」というコラムを発見。その文体と切り口から瞬時に筆者の「無碌子」氏が古川さんだと確信してから定期購読。 知事選直前まで続けられた連載は、まさに「続・HAMIDAS」でした。
そして、佐賀県知事に当選してからはご自身のサイトで毎週火曜日に[週間yasushi]というコラムを欠かさず執筆。 内容は、仕事(職務)に関する事や、趣味の事だったりするけれども、そこで発生してくる「?」について、曖昧なままにせず、浮かんだ疑問は納得するまでトコトン追求して解明しています。また、話の落としどころまもばっちり決まっていて、読後のすっきり感は知事となって多忙な現在でも決して失われていません。
そんな、古川知事の文章には、ネタがいっぱい隠れています。(と、私は思っています。) 幸いにも、ほぼ全ての文章をwebで読むことが出来ますので、しばらくの間、古川さんの文章から、私の住む街の元気を取り戻すためのアイデアを考えてみたいと思います。
と、ここまで書いて、Webを立ち上げた当時の気持ちを思い出してきました。 そろそろ、私のサイトの「改編」しなくては。
地元のこと、知ってます? ― 2005/05/18 23:19
受験ジャーナル5月号(実務教育出版)掲載「TopInterview 佐賀県知事 古川 康 (後編)」より(PDFデータ)
国語算数理科社会、色々な勉強がありますが、公務員(事務屋です)をしていて思うことは、必要最低限の学力は必要だけど、それよりも大切なものがあるよね…と、思っています。 そんな中で文章最後の段の
「まず佐賀県を志望される方は、県の歴史や地理を必ず勉強してください。~」
からの部分が一番印象に残りました。 その部分を、自分の街の名に読み替えたらどうでしょうか。
「まずK市を志望される方は、KやK周辺の歴史や地理を必ず勉強してください。~中略~5問はKに関する問題を出すようにしています。~中略~ですから、少なくともS地域の地名はすべて読めるようにし、Kに関係するの歴史上の人物なども勉強してほしい。たとえばKの城主は「牧野氏」だ…ぐらいは知っているでしょうが、仙石秀久(せんごくひでひさ)という名はあまり知られていない。今から500年ぐらい前、讃岐からやってきた殿様で「仙石さん」と親しまれた人で、K城(現KK園)を完成させ、鹿島神社や八幡神社を作り、八朔相撲を始めたり、Kで蕎麦切りを普及させた人である。その後、U市に移り、そして兵庫県の出石町へ移るのだが、その際に「超そば好き」だった城主は、Kのそば職人を出石へ連れていき、それが有名な出石の皿そばの起源になったそうです。そうした人物が果たした役割などをきちんと理解している人に来てほしいと思っています。」
と、読み替えたらどうでしょうか。(上記は、すべて私の心の師匠のサイトを参考に作ってみました。) 当時の私だったら、きっと全問不正解…今だって怪しい(^_^;)
まちづくりとか、まちおこしとか昔からいいますけど、当の本人が本当に「そのまちが好き」なのかどうか、疑問に思うことがしばしばありました。 中心商店街活性化とか言いながら、商店街どころか、街の中心をバイパスする道路を造ってみたり、その道路を造ることに、地元が反対しなかったり、そもそも、その計画が30年も前に作られた「都市計画」に依っていて、現状に則していなかったり。
この街は、今でも十分にすてきな所です。 できるだけ多くの人に、この素敵な街を知ってもらうことを、どんどん実践していきたいですね。
我が住む街の明るい話題。 ― 2005/05/21 02:18
合併しないとか、中心商店街が寂れているとか、勢いが無いだとか、あまり芳しい評判を聞かない我が街に久々に明るい話題がもたらされました。
Sなの鉄道で新物流構想 朝日新聞・長野版
- (前略)しなの鉄道(軽井沢—篠ノ井間)を活用し、東信地区の農作物や工業製品などを全国の鉄道網に乗せる新物流構想が浮上している。貨物ターミナルを同鉄道のK駅に設け(中略)「長野新幹線の開通前は交通の要衝だったKの新しい役割を模索し、中国や韓国との経済交流が一層盛んになる日本海時代もにらんだ」と井上社長。(後略)
「商都小諸」と言われた時代、Kは物流の拠点でした。 その昔、馬や鉄道が物を運んでいた時代は、物の流れと、人の流れは同じでしたから、Kは人・物の両方が行き交う、にぎやかなまちだったようです。しかし、車社会が到来し、人と「物」の流れが変わり、さらに新幹線駅が小諸ではなくS市に開業し、その近くに上信越道のICがある影響もあり、人の流れは新幹線に、「物の流れ」は高速道路に…と、K(の中心商店街)は流れから外れてしまいました。
で、私などは単細胞な思考しかできないので、「Kに人の流れを作るには?」という視点で、Kの街をにぎやかにすることだけを考えていました。 しかし、今回の記事を読んで、びっくり。まだ、物流の拠点としてのK市再生の手段が存在したことを。
よくよく考えてみれば、新幹線は物を運びません。それ以前に、車で2時間以内という「首都圏」は、積み替えの必要が無いトラックが有利であり、参入するメリットは少ないでしょう。 でも、記事でも書かれているとおり、長距離の物流拠点としての鉄道に関しては、まだまだ成長の見込みがあるのでは? Kの特産「Mケ原の白土ばれいしょ」の主要消費地は関西です。食味「特A」を獲得した「東信地域のコシヒカリ」の産地でもあるわけですから、農業製品の販路としては魅力的。少なくとも、Kの農産物を高く評価してくれる可能性は十分あるでしょう。 そういう関西圏への売り込みに、今回の物流拠点は大きな役割を果たすとおもいます。 本当においしいもので、「生鮮」でないものを、トラックよりも低コストで送り出せることができれば、十分競争力を持つことも。
そりゃ、生鮮野菜は、トラックで「朝穫れ」販売すればいいんですから、べつに関西まで運ぶ必要は無いですよね。
このプラン、実現したわけではないですが、想像しただけでワクワクしてきますね。こういう「明るい話題」でオフサイトミーティングでしたいですね。そうすれば、面白い企画が生まれてくるかもしれません。
あと、中国や韓国との交流の話。 Kの場合、中国との交流は「T村文学賞」を通じて既にあり、T村文学は高い評価を受けているとのこと。残念ながら日本では、若い人に読む機会があまりない(私を含めて)ので、その威光に衰えが…。 そんな中で、中国語で出版された「T文学」に人気があるのならば、経済発展目覚ましい中国から、T村文学の里としての観光客を狙えないでしょうか。 ほかの地域でも、中国や韓国からの観光客の誘致合戦が始まっていると言う記事を読んだことがあります。しかし、まだそれは「誘致合戦中」であり、ガッツリと定番の観光地として定着したわけではありません。 まだまだ、それに関する取り組みをすることは可能だと思うのです。 T村に関する秘蔵の資料が眠っている「T村記念館」と「市立K図書館」の情報をデジタル化できないでしょうか。できれば、それを中国語やハングルで展開してみたら?SEO対策をきちんとすれば、きっとKにも観光客として取り入れることができると思います。
あー、明るい話題って、楽しいわ。
小諸青年の家が来年3月末で閉鎖に。 ― 2005/05/22 22:29
googleニュースの検索より
県教育委が「青年の家」の閉鎖検討 老朽化 松本市、K市の2施設
- 財政改革に伴う事業見直しや施設の老朽化が主な理由
上記ニュース、以前から噂になっており、話は聞いていましたが、今年度でいきなり閉鎖ですか。 仕事の関係で、先週一度利用しましたが、都会のみなさんには「寒い」「古い」と、評判はいまいちだったようです。 私も、今から遡ること16年前に宿泊した以外は、泊まる機会に恵まれませんでした。その時は、暖房が自由にならなくて、「ニーズにあわないなぁ」と感じたことは確かでした。 すでに「安ければ良い」という時代ではないのだと思います。
朝のラジオ体操とか、日の丸、県旗の掲揚、その他諸々の青年の家らしいイベントって、今もやっているのかな?
実際問題、あの建物を活用するといっても常駐の職員をおくほどの余裕が、人口45000人の街にあるのかどうかと言う問題もありますし、常時開けておかなければ、あっというまに、使い物にならなくなってしまうでしょう。 体育館は、きっと使えるんじゃないかと思うけど。
それでは、K市のものになったとして、ユニークな使い方ができないかな???
アイデア1 市内に、県の施設「ハローアニマル」があることだし、ペット同伴で宿泊が可能な施設にするとか。今時のホテルはペット同伴可能なのかな?
アイデア2 管理人を募って、ユースホステルにしちゃうとか。ここなんかは、確か茅野市から管理委託されていると聞いているし。 近くにKユースがあるから、営業妨害か…?
みなさんなら、どんな活用方法を考えますか?
小諸を「そば」で売り込むには… ― 2005/05/22 23:16
何事も、ゼロからはじめるのはとても大変。だから、少しでも芽が出ているものを活用して広めていかなくちゃ…で、K市で一番有力だと思うのが「そば」。 そこで、蕎麦を活用したK市の宣伝方法を考えてみました。
「Kそば」とのタイアップ
- 限定「A山麓の霧下そば」を出してもらって、食べた人から抽選で「Kまるごとそばパックツアー」にご招待してみる?
「出石皿そば」とのタイアップ
- 仙石氏は、K市>U市>出石と国替えされ、その際は、Kのそば職人を連れて入封した…言うのが、地元の人の話。かなりのそば好きですね。
- そば誕生の初期、そばは皿に盛り汁をかけて食べていたそうで、出石の皿そばはその頃の名残ではないかとの説もあるそうで…。
有名人とK市のそば
- 種田山頭火「こんなに蕎麦(そば)がうまい浅間のふもとにゐる」
- 残念ながら、この碑は御代田町に建立されたようです。残念。
- ちなみに、K市分は山頭火が宿泊したN棚荘に建立されました。(女将のひとりごとに写真掲載あり。)
「おれんちのそば」のまちづくり
- 市内の手打ちそば屋さんを集めて審査員になってもらい、市民(想定しているのは、リタイヤ後のおじさん連中…)を対象に二八そばのコンクールを開催。
- 上位5人(または、特定のレベルに達していると認定された人)を「Kそばの伝道師」として認定し、Kそば派遣制度に登録。市内外のイベントで、そば打ちを披露する。
- あくまでも「伝道師として」活動してもらうので、「交通費」+「そば粉」+「そば汁」代金だけで請け負う。
- ただし、そば打ちを披露している現地で、自家製そば粉などの「そば関連商品」を各自が販売して利益を上げることは可とか、小遣い稼ぎの道も作っておく。
- 伝道師としての出動回数が50回を超えたら、伝道師引退。自宅でそば屋を開くもよし、「そば打ちの講師」として活動するも良し。できれば、味のある農家などを開放して「おれんちのそば」を食べさせるに場所する。
- 夢はK市民「総そば打ち職人」化。
- せめて、私の職場のみなさんは、全員そばを打てるようにするぞ。
to be continued...
ぜんぜん関係ないけど、「コロッケころちゃん」でMケ原の白いもコロッケを限定で発売すれば、、、、絶対においしいわけだし、白いもの宣伝には、ばっちり。
坂道と自転車 ― 2005/05/24 22:08
K沢に自転車利用拠点施設、整備へ 国交省検討委が会合―提言まとめ (信濃毎日新聞)
こんな記事が、2月頃掲載されました。 学生時代、長野からKに引っ越して、自力で自転車をこいで運んだ経験から、「坂の街・K」は、自転車に向かないなぁ~と思っていたのですが、この記事を読んで、逆の発想を思いつきました。
坂道を下る!んです。 苦労な上り坂をPASSするには、Sなの鉄道を使いましょう。
アイデア1
- K沢~K間の「1000m林道」を利用して自転車レースを以前企画したが、レースとなると、警察の許可など色々とクリアしなくてはならないハードルがある。なので、普通のサイクリング・コースとして設定したらどうか?
アイデア2
- Kまで自転車で「下って」きて、K駅で自転車を乗り捨て、K沢駅までの回送をSなの鉄道に委託する。
- または、輪行(りんこう=自転車をばらして袋に入れること)すれば、電車に自転車を載せる事ができるので、そのルートを周知することにより、K沢からKまでの自転車観光の道が開けないか。
- 宣伝は、自転車関連の雑誌や観光マップに「実際のルートと実際にかかる時間」を掲載すれば問題ないはず。できれば、TVの旅番組で実際には知ってもらうのが、いいでしょうね~。
アイデア3
- 二人乗り自転車(タンデム車)を公道で走れるのは、長野県と北海道のみ。(他の都府県では、条例で禁止されているらしい。)
- 最近流行りの特区で、タンデム車走行可にするものも出ていた気がする。やり方次第でかなり楽しめる。タンデム車でのイベントを企画すれば?
アイデア4
- Mの茶屋~1300m林道~K間で、MTBによるダートレースの可能性は?私もこの林道はお世話になりました。(バイクですが)
- 知るひとぞ知るコースのようで、途中、MTBの人に道を聞かれること多数。以前は乗馬コースとして使われていたとも聞いています。MTBのコースとして、K発Mの茶屋行き「輪行専用バス」を動かせば、それなりに需用があるのでは?
K沢を出てK市までは、登りは僅かです。 坂の街の大御所、長崎は、坂過ぎて階段が多かった印象(それはそれで、風情があって、感動しましたが。)がありますが、K市は「登り」さえクリアすれば楽しいサイクリングコースとなるでしょうね。
いまさらT村か、今だからこそT村か?〜種を蒔かずに、収穫はありえない〜 ― 2005/05/25 02:03
実を言うと、私は明治時代から昭和初期の頃の、いわゆる「旧字旧かな」時代の本をほとんど読んでいません。誰もが読んでいるはずだと言われた「我が輩は猫である」も、確か最初の10Pぐらいを読んで、面白みが無いのでやめてしまった記憶がある。 だから、もちろんT村も全く読んだことがない。 そんな人間に、T村を語る資格があるかどうかは別にして、読んでない、思い込みが無いからこそ、立てる視点があるのではないか?と思い、このエントリーを書いてみる。
さて、小諸のT村に関しては「いまさら」論と「今だからこそ」論があるんだとおもうのだが、それを下にまとめてみました。
- 国内の状況ということで言えば、長野県山口村(当時)の越県合併の際に、大々的に取り上げられても、大きな動きが(しないを含めて)無かった。
- 「T村で縁(ゆかり)のあるK市では…」というような、メディアへ取り上げられることが少なかった。
この時点で、地元がT村で盛り上がることは厳しい=「T村の種は尽きたのだ」と思います。
それでは、「今だからこそ」と言えるように「T村の種」を蒔く方法を考えませんか。
- 教科書でのT村の採用
- T村文学の映画・ドラマ化
これは、どちらかというと、「飛び道具」的です。NHKの大河ドラマででも、取り上げられれば、かなりの知名度アップ(というか、再認識度アップ?)が得られるでしょう。 しかし。それとは対照的になりますが、「鍬と鎌」的な地道な活動も必要でしょう。
- 読みづらい「旧字旧かな」ではなく、「新字新仮名」の文庫本をそろえておいて、現代人にもっと読んでもらうことが必要なのでは?
- 一時期流行した「マンガで読む〜???〜」(源氏物語や枕草子)シリーズのように、マンガで読むT村文学シリーズという可能性もあります。それを読んで興味があれば、原典に戻るはず。
- すでに著作権の切れたT村の作品は、インターネットで無料で読むことが出来ます。 http://www.aozora.gr.jp/ ↑T村の30作品をはじめとした、各種名作が、無料で掲載されています。 まだまだ、電子化されていない著作がたくさんあります。K市内に残されている貴重な資料もあるでしょう。市内の学校や図書館で、こういうプロジェクトに参加していくことも、児童・生徒や市民全般へのT村文学への「窓」を開くきっかけになりませんか?研究者にも役立つと思います。
それと、「いまさらT村」という発想は、日本国内に対しての視点ですよね。
最近、有名な観光地へ行くたびに強く感じるのが、中国や台湾、韓国など、近隣諸国からの旅行者の多さです。 http://mytown.asahi.com/nagano/news02.asp?kiji=5392にも関係すると思いますが、 発展目覚しい中国や台湾、韓国などとの経済の交流は、同時に人との交流とつながります。その辺からの誘客も必要になってくると思います。
市長が、T村文学賞の授賞式で中国を訪問しています。その時の中国での感触はどうだったのか興味深いところです。一部の学生の間だけでなく、中国で、T村に人気が出ているようであれば、「今だからこそT村」として、対国外への売込み(種まき)を行なってみる価値は十分あるとおもいます。
今日蒔いて、明日収穫できるわけにはいかないですから。
K市といえば… ― 2005/05/25 17:22
このブログを読んでくれている皆さんが、我が地元「K」というキーワードで思いつくものはなんですか?
- KK園
- A山
- S崎T村
- TM高原
- NB観音
- Kそば
こんなところでしょうか? それでは、「知る人ぞ知る・K」って言ったらなんでしょ?
- レタス(本日の特選素材になったこともある)
- りんご(東信のりんごは、かなり美味しい。)
- 桃(桃の栽培を日本ではじめて行なった所)
- ワイン(千曲川沿いのA山ろく南斜面は「日本のブルゴーニュ」)
- 白土ばれいしょ(味にうるさい関西の人も納得)
- K八重紅枝垂桜(KK園にのみ存在する希少種)
こんなところでしょうか。 他にもありませんかね?あったら、どんどん追加します。
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